カレンダーフリーエリア最新記事最新トラックバックプロフィール
HN:
ugie
性別:
非公開
趣味:
お酒と被害妄想
ブログ内検索最古記事(05/05)
(05/10)
(05/10)
(05/10)
(05/10) |
あぷりぼあぜ酒を愛する作者の自堕落な日記です・・PAGE | 387 386 385 384 383 382 381 380 379 378 377 | ADMIN | WRITE 2011.03.25 Fri 22:35:56 2週間後・・・震災から2週間が経ちました。
現在、死者・行方不明者を合わせると2万人を越えるようです。 原発の問題はいまだ終息を迎えず放射能の危険をメディアは取り上げています。 誤認や誤報が絶えず盗みや義捐金詐欺まで出てきています。 他の国よりは秩序的な国民性なのでしょうが何処にでも悪意は存在するものです。 まだまだ被災地を中心に問題が山積しています。 ”人間は考える葦である” 東北の復興作業を見ていて思い出した言葉です。 17世紀フランスの思想家・数学者であったパスカルの言葉の翻訳本で 『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされます。 実際『パンセー』はパスカルの著作ではありませんしパスカルの死後出版 されたものです。(読んだことないんでねー) 「葦」は弱いものの代表として、そして人間の比喩として取り上げられています。 これは昔誰かに聞いた説明ですが 人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、 強い風が吹くと弱いために、すぐしなって曲がってしまいます。 風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのであると・・ しかし、その他方で、丈夫な樫の樹などは風が吹いてもしなることはせず 抵抗するので風に勝利するが繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に 倒され根元から折れてしまうのです。 しかし賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせて しなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが風がやむと徐々に身を 起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れている ということが人間への「比喩」の意味なっています。 弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ前屈して曲がるが 風が去るとまた元のように立ち上がる。 人間とはこのように自然や運命の暴威に対し無力であるがそれに従順に従い そして暴威をくぐり抜けてまた元のようにみずからの姿で立ち上がる。 自然界のなかではたいへん弱く簡単に風にしなるが、柔軟性があり運命にも 暴威にも屈しない。そして何よりも「考えることができる」すなわち 「思案した精神を持つ」ことで、自然の力、暴威として力を無自覚に 揮う風に較べて遙かに賢明で優れた存在である。 「人間とは、運命に従順であるがしかし、精神で運命に抵抗し不屈の意志と 思索することで運命や自然の暴威を乗り越える自由な存在なのだ」 まだまだ続く苦難の復興作業、”葦”ように立ち上がれると信じます。 ロマテ・マリスメノ・フィノ 計画停電の折に飲もうと思っていたんだが普段から飲んでしまう。 ロマテのフィノはアフターも長くウマイ! PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |